ラテンの魔豹 ペドロ・モラレス身長
182センチ、体重 110キロ |
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猪木と同じくモラレスもまたNWAに冷遇されたレスラーだった。62年頃サンマルチノ一家としてニューヨークでデビュー。65年にロスに渡りWWA世界ヘビー級チャンピオンになる。66年に世界チャンピオンとしてワールドリーグ戦に参加するが、NWA傘下の日本プロレスは彼を世界王者として扱わなかった。帰国後やや低迷するが、71年にニューヨークに戻ってすぐにサンマルチノがイワン・コロフに惨敗し王座転落。この時モラレスはワンチャンスを生かして今度はWWWFの世界王者となった。しかし彼が王座に付いて間もなくWWWFはNWAに加盟したため、世界の文字はタイトルから外された。73年に王座転落後はNWA圏に転戦したが、ハリー・レイス、テリー・ファンクといった歴代王者はモラレスの実力を警戒してか、彼の挑戦をほとんど受ける事はなかったのである。原因は彼の感情に左右されやすい性格が世界王者としては扱いにくいというプロモーター側の理由だったという。 モラレスは元々ドラゴンという不良グループのリーダーだった。その感情の激しさがファイト・スタイルにも反映されていた。体は今でいえば健介をふた周りぐらいがっしりさせた感じで、ややふと目だったがその動きは当時のレスラーに比べれば抜群に素早かった。マスカラスと共にプロレスにスピード時代を到来させたといえる。モラレスといえばドロップキックだが、筆者が見たころのモラレスの必殺技はローリング・クラッチホールドだった。それとペドロスペシャルと呼ばれたワンハンド・バックブリーカー、これも強烈だった。繰り出す技も見ていて気持ちいいものばかりだったが、やられっぷりの良さも気持ちよかった。とにかく受け身が上手かったという印象がある。一流レスラーの条件として受け身の上手さというのがあるが、モラレスとハーリー・レイスの受け身の上手さは見ていていつも感心した覚えがある。 日本でもエース外人の扱いを受け、特に新日本の76年第3回ワールド大リーグ戦では予選リーグを全勝で通過、決勝戦では坂口の執念に敗れはしたものの、試合内容では化け物のようなスタミナを見せ完全に坂口をリードしていたといえる。78年の来日では猪木のNWFの挑戦、コンディションの悪かった猪木を押し捲った。この試 |