インディアン・ストラップ・マッチ
2002.3.10 update
|
昭和49年11月28日横浜文化体育館で行われた日本初のインディアントラップマッチ |
皆様の熱い要望にお答えして日本プロレス全盛時代には「邪道!」とさげすまれたデスマッチの数々を紹介する「これが昭和のデスマッチだ!」。まず最初に登場は国際プロが48年に行ったインディアン・トラップ・マッチの登場です。 国際プロが「まだ見ぬ強豪」であったワフー・マクダニエルの招聘に成功したのは48年。AWA時代から因縁のある草津と日本でも遺恨をさらに深め、決着戦として提案されたのが金網インディアン・トラップ・マッチであった。通常、インディアン・トラップ・マッチは金網を張らない。これは草津が金網を、ワフーがトラップマッチを主張したための折衷案であった。このインディアントラップ・マッチは皮ひもデスマッチと日本では呼ばれるが、プロレス評論家の田鶴浜氏によれば、その起源は64年にロスで行われたフレッド・ブラッシーとミスター・モトの一戦であったという。このときの名称はジャパニーズ・デス・マッチであったという。 インディアン・トラップ・マッチのルールは反則は何でもOK、決着はKOした相手を引き摺り、コーナーにタッチしてリングを1周したほうが勝ちというものであるが、国際プロではリングを2周というルールを採用した。この特別ルールが試合結果を大きく左右するというのが、国際プロレスの素晴らしいところである。 戦術としては左写真のように皮ひもをこぶしに巻きつけて殴る、皮ひもをムチのように使う、皮ひもで首を絞めるという3大攻撃方法がある。さすがにワフーは皮ひもデスマッチの名人だけあって、手馴れたもの。あっという間に草津を血だるまにして試合の主導権を握った。しかし草津も急所打ちを見ない形勢逆転。しかしワフーのトマホークチョップの乱れ打ちでダウン。ワフーは草津を引き摺りリングを1周回った。アメリカではここで決着だが、特別ルールで2周目に入った時草津は蘇生し立ち上がったのである。 |
前溝レフェリーに躓いてワフーは後ろ頭部を強打! | 大逆転の草津がリング2周に成功! |
71年にロスで行われたジャパニーズ・デスマッチ | キンジ渋谷とスニ・ワー・クラウドが激突! |
派手な殴り合いの後、タックル合戦。これに巻き込まれた前溝レフェリーがダウン。タックル合戦に勝ったワフーが再び草津を引きずってリングを1周。2周目に差しかかったときに起き上がろうとした前溝に脚をとられ後頭部を強打!ダウンしたマクダニエルに草津はエルボーの連打からブレーンバスター。完全にKOされたマクダニエルを引きずり草津はリングを2周。18分14秒ついに草津が勝利を収めたのであった。 しかしこのインディアン・トラップ・マッチ。リングを2周するというのは非常に間延びしたようで、やはり1周で決着をつけたほうがよかったとの声があったようだ。だが、裏を読めばワフーは2度リング1周に成功している。ということはアメリカのルールではワフーが勝っているという訳であり、大物であったワフーの格を傷つけぬための最大限の配慮だったといってもよかろう。しかし、この試合誰かビデオにとっていないのでしょうか?みてみたい! |