柔道ジャケット・マッチ

2004.9.18update

やはり胴衣にタイツっていうのは似合わない。

 

 この試合は厳密にはデスマッチとはいえないと思うが、その歴史は古く、昭和プロレス・ファイルでも紹介しているように、キラー・シクマが1940年代にアメリカ本土で行なっている。また、オキ・シキナとジム・ロンドスの柔道ジャケット・マッチのビデオが残っている。

 

   
胴衣で目隠しは反則!   ロスでのジャケットマッチ   MSGを沸かせた坂口VSルスカ

  

 日本でこの試合形式がはじめて行なわれたのは、全日本プロレスのマット。もちろん、アンロン・ヘーシンクに本領を発揮させる為であった。ヘーシンクはゴリラ・モンスーン、ドン・レオ・ジョナサン、カリプス・ハリケーンと、この柔道ジャケットマッチを行なったが、決して本領を発揮できたとはいえない。モンスーンとの試合がビデオで残っているが、最後はタックルの相打ちで先に起き上がったヘーシンクが勝つという、柔道着を着ている意味がほとんどない結果であった。

 そもそも柔道ジャケット・マッチを言うものは、アメリカのプロモーターが「ものめずらしさ」を狙って行なったものであり、柔道が珍しくともなんともない日本では、この柔道出身者VSレスラーという形式では受けず、後に新日本プロレスで行われた、坂口VSアレン、ルスカVSアレンといったような、柔道出身者同士の試合のほうが盛り上がったように思う。坂口征二が復帰した際にこの試合形式が行なわれたが、この形式はあまり日本にはなじまなかったといえよう。