インディアン・デスマッチ

2005.3.12 update

試合前に全身に油を塗りたくる

 

 
シンは珍しく足四の字固め!   猪木は執拗にスリーパーを見せた

  

 デスマッチといえば国際プロレスの専売特許のように思われているが、新日本プロレスもデスマッチを頻繁に行なっていた。多くの場合、その主人公は猪木とシンであった。

 そんな中でも異彩を放っていたのが昭和54年10月4日に蔵前国技館で行なわれたインディアン・デスマッチである。このデスマッチは反則カウントなし、リングアウトなし、決着は3カウントの後、さらに10カウントを取れば勝ちと言う「完全決着」を想定したルールになっていた。このデスマッチがユニークなのは体に油を塗る点である。これにより関節技は決めにくくなり、さらに皮膚呼吸もしずらくという過酷な試合である。試合中も油が乾いたと見るや、レフェリーが油を「追加」すると言う徹底振りである。

 試合は猪木が執拗なスリーパーでシンを攻める。対するシンは猪木の足を狙う。ファンは完全決着を期待してこの試合を見ていたわけだが、猪木のスリーパー攻撃に業を煮やしたシンが凶器で猪木とレフェリー暴行、これを見た藤波がリングに乱入するやシンのセコンドのマサ斎藤、ハリウッド・ブロンドスが飛び出してノーコンテストというまさかの結末。猪木はマイクで不完全決着を謝罪して、「今度こそは完全決着」と再戦を約束した。これを受けた新日本プロレスはシンと猪木の完全決着をつけるための試合方法をファンに公募。ファンの要望は金網デスマッチがおおく、ゴングも誌上で「金網もしくはチェーンデスマッチで決着を!」とアピール。シンもチェーンを持参して来日し、すわ、チェーン・デスマッチ実現か!と思われたが、結局、デスマッチは実現せずに終わったのである。

 この後両者はUWA世界選手権をめぐる抗争を繰り広げたが、スタン・ハンセン、ボブ・バックランド、ハルク・ホーガン、ダスティ・ローデスらが、新日本プロレスのレギューラーとなり、シンの居場所は徐々になくなっていき、新日本プロレスに移籍していく事になる。しかし猪木の金網デスマッチも一度は見たかったものである。