ヘアー・ベンド・マッチ

2002.3.23 update

 

'77年10月に行われたマスカラスとゴールドマンのマスク-
髪の毛デスマッチ。

 

 

   ヘアー・ベンド・マッチ=髪の毛デスマッチは筆者の知りうる限り日本では二回しか行われていない。1度目は昭和44年4月20日、ところは名古屋市金山体育館。なんとサンダー杉山、ラッシャー木村組とタンク・モーガン、ドリー・ディクソン組のIWA世界タッグ選手権試合で両軍のリーダー格である杉山とモーガンが髪の毛をかけた。2回目は同年7月17日大阪府立体育会館で行われた、豊登、ストロング小林組とオックス・ベーカー、スタン・ザ・ムース組によるIWA世界タッグ選手権試合。2回とも日本組が勝利を収め、モーガンとベーカーが髪を切られている。といっても両者ともにかなり頭は薄かったので、あまり盛り上がらなかったような感じだ。50年代にも鶴見五郎と稲妻次郎がこのルールで戦い、鶴見が丸坊主になっている。この一戦をきっかけに鶴見は国際愚連隊を結成した

 この試合形式の本場はなんと言ってもメキシコ。メキシコでは坊主頭は罪人の象徴で、丸坊主になるということは非常な屈辱とされる。それに加えメキシコでは髪の毛とマスクをかけるマスカラ・コントラ・カベジェラという形式が多い。マスクマンにしてもマスクをはがれるということは、選手生命にすらかかわることなので、この試合形式では必然的にシュートマッチにちかい内容になる。写真右下(イホ・デル・サントVSレイ・リチャード)のようにマスクはびりびりに破れ、両者大流血というケースが非常に多い。さらに敗者が逃げ出さぬように関節技に捕らえ、逃げられないようにした上で、専属の床屋さんが登場してバリカンを入れるのである。

 

 

   

マスカラスとゴールドマンは
69年にも対決している。

  メキシコではプロの床屋さんが登場!   越中詩郎もメキシコで坊主に

  

 トップ画像に持ってきたのは、77年10月7日ロスのオリンピック・オーデトリアムで行われた因縁のミル・マスカラスとブラック・ゴールドマンの間で行われたマスカラ・コントラ・カベジェラである。両者は69年にも同所で同じ形式のデス・マッチを行っているが、8年越しの再戦がテーマではない。実はこの試合の前に行われたマスカラスとエル・ゴリアスの試合にゴールドマンが乱入しナイフで腹部を切り裂くという暴挙に出たのである(マスカラスの腹部にある大きな傷はこのときのもの)。いくら客を呼ぶためでもこんなストーリーはあるはずもなく、ゴールドマンの暴挙は遺恨が募ってのガチンコなものであった。人一倍プライドの高いマスカラスが身体を傷つけられ、黙っているはずもなく提案したのがマスカラ・コントラ・カベジェラだったというわけ。試合は実力差を見せつけマスカラスが勝利を収め、マンドー・ゲレロも加わりゴールドマンは坊主になったのであった。

 日本ではほかにも全日本女子プロレスで行われた。長与千種がダンプ松本に破れリング上で丸坊主になった。この試合形式は男性の丸坊主がファッションとして定着した日本においては、むしろ女子プロレスにもってこいのデス・マッチといえよう。