チェーン・デスマッチ(死の鎖試合)
2002.3.17 update
2004.9.18 renewal
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日本プロレス史上屈指の残酷なショット  | 
    
|  今回紹介するチェーンデスマッチはインディアン・ストラップ・マッチの皮ひもが鎖に変わっただけのもの。日本ではワフー・マクダニエルの親友を自称するザ・キラー(正体はザ・マミーのベンジー・ラミレス)が草津からワフーの敵をとるために鎖を持ち込み実現させた。このときのルールは単に相手をKO(10カウント)すれば価値というものであった。試合は実力に勝る草津が勝利を収めた。日本ではほかにオックス・ベイカーとアレックス・スミルノフがラッシャー木村への挑戦権をかけてチェーン・デスマッチを行ったこともある。なかなか絵になるショットである。結果はスミルノフがベイカーを下した。 国際プロレスでは他にも木村VSベイカー、原VSテキサス・アウトローなどが、この形式で試合を行なっている。  | 
    
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| 昭和マット唯一の外人同時のデスマッチ | ||
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| 鎖を腕に巻いてのチョップ! | アメリカでは相手を引き釣りリング1周で決着。 | 鎖を巻いての打撃は定番攻撃。 | 
| このチェーン・デスマッチの名人といえばなんといってもグレート・ボリス・マレンコである。ジョー・スカルパやエディ・グラハムを血祭りに上げ南部地区ではこのチェーンマッチで無敵を誇った。しかしそのマレンコにチェーン・デスマッチでマレンコに土をつけたのが当時「南部の喧嘩狂」と呼ばれていたディック・マードックであった。アメリカでのルールはKO下相手を引きずり、リングを1周するというものだった。 | 
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| チェーンを奪い合う変則式もある。 | チェーンでの目潰し。 | 
|  基本的にチェーン・デスマッチは対戦者の腕をチェーンでつなぐのだが、77年にロスで行われたチャボ・ゲレロとプロフェッサー・田中の間で行われたのはチェーンを奪い合い、チェーンをゲットしたものがそれを凶器として使用OKという変則ルール。これは日本では行なわれていない。 金属である鎖を使うという点では、インディアンストラップ・マッチよりも遥かに残酷なデスマッチであり、非常に梶原一騎的匂いのするデスマッチである。  |