昭和プロレス秘宝館
少年マガジン・決定版シリーズ「恐怖の殺人戦デスマッチ」
2007.2.18 update
久々の更新になる「昭和プロレス秘宝館」ですが、今回は「少年マガジン」昭和44年2月16日号(表紙は馬場VSキニスキー!)に収録された「決定版シリーズ=恐怖の殺人戦 デスマッチ」(構成=田鶴浜弘、山田隆)を紹介します。
ルール早わかり プロレス殺人戦 1.アニマル・デスマチ・・・動物と闘うデスマッチ。動物は手加減をしないので、人が死ぬこともある。 解説:テキサス・デスマッチ=金網デスマッチだったのか? 写真がとらえた五大デスマッチ 1.力道山対デストロイヤー 魔王の4の字固め 大木選手の特別手記 金網デスマッチで日本人初勝利! 血もこおる地獄のリング (要約) 今思い出しても身の毛がよだつような苦しい記憶が、ぼくの頭の中からさらない。昭和39年10月2日の夜のことだった。ぼくの前に現れたのは、「KKK」と名乗るカール・コックスだった。ぼくははじめてデスマッチをやる事になったのだった。 金網をめぐらしたリングに立った時、黒づくめの殺し屋スタイルをしたコックスの姿が飛び込んできた。コックスは首しめから死のクローをかけてきた。すかさず今度はニーパット・・・この猛攻で目の前がまっくらになった。 デスマッチはドクターストップも何もない、コックスは強心剤をうち、水をかぶって出てきた。二本目はコックスの鬼気迫る闘志に負けた。スリーパーホールドで地獄にとされるところだった。 三本目、またしてもぼくは頭突きでせめた。ついに勝った。レフェリーのマービン・ジョーンズに右手を上げられ、勝利の宣言を受けた。だが、ピクリとも動かないコックスの姿を見たとき、わたのようにつかれきったぼくの身体の底から、はじめて気の狂いそうな恐怖感がわいてきた。 解説:試合場所、会場などの詳細は紹介されていないが、一応、死闘の記録として試合のタイムが掲載されている。 世界の殺し屋ベスト10 1.テキサスの帝王 エリック・・・アイアンクローで300人近い一流レスラーを病院送りにしている。 解説:ストロハイムの紹介写真はカール・フォン・ストロハイムの写真が使われているが、熊と闘うのが得意だったとは!イーグルはドン・イーグル。 ショック!肉弾戦に消えた命 ロープが命取り マイク・ロマノ・・・1930年、ワシントン・アレナで、ロマノは片足がロープ上段に引っかかって、頭からマットに叩きつけられ首の骨を折って即死した。 ルー・テーズに死のコーチ・・・テーズが若い頃スチールにとび蹴りのコーチを受けていた。ある日テーズが帰ろうとすると、スティールが壁にもたれて動かない。テーズが良く見るとスティールの息は絶えていた。あまりにも激しくコーチをしたので、心臓にこたえ死んでしまったのだ。 かかえじめて死ぬ ピトラシンスキー・・・50年前抱えじめの王といわれたピトラシンスキーが、相手をしめ落として勝ったがそのまま死んでしまった。 心臓まひをおこした ラッシュ・・・20年ほど前に南部チャンピオンだったポール・ラッシュがマイアミで試合中心臓麻痺で死んだ。 鉄柱にガツン!カサボスキー・・・30年ほど前、ラリー・カサボスキーがモントリオールで試合中にコーナーの鉄柱に頭をぶつけ即死。 打撃のショック死 ライト・・・5年前、ジム・ライトは試合の後ばったり倒れた。打撃のショックによるものだった。 脳天くい打ちで死 ウルフ・・・20年前にジャネット・ウルフはパイルドライバーを受けて即死。 ヘッドロックで脳に異常 ステッカー・・・ジョー・ステッカーはルイスのヘッドロックを受けて、その後脳を患った。 心臓にドロップキック スタンレー宮城・・・20年前、悪玉レスラーといわれた宮城は心臓にドロップキックを受け即死した。 毒殺された?マティ・マツダ・・・50年前、マティ・マツダは強すぎてうらみを買い、毒殺されたといわれている。 解説:田鶴浜さんが監修している為か、事件が起こった時代が古すぎる! と、言った感じで記事は終了。しかし、少年漫画雑誌にプロレスの特集が組まれていたとは! いかにプロレスが大衆のスポーツであったかということが分かる資料である。 |