昭和プロレス秘宝館

  

日本プロレス 昭和46年ダイナミック・ビッグ・シリーズ パンフ

2003.2.14update

 

  

今回の「昭和プロレス秘宝館」は日本プロレスの昭和46年「第4回ダイナミック・ビッグ・シリーズ」のパンフを紹介します。

 このシリーズは国際プロレスが行った「あなたがプロモーター」という読んで欲しい外人レスラー人気投票の1位だったスパイロス・アリオンと2位のミル・マスカラスを日本プロレスが呼んでしまったことでプロレス史にその名を刻まれるシリーズであります。しかし待望の来日だったアリオンは期待はずれ。「悪いことはできませんなぁ!」という見本のようなシリーズとなったのです。

 

 

 

 まず表紙を開くとワールド大リーグ戦の告知。日本プロレスがこのシリーズにどれほど力を入れていたかがよくわかります。その右にはダイナミック・ビッグ・シリーズのスケジュール。全13戦の割とゆったりした日程でした。また当時はリーグ戦以外のシリーズでも必ず「第*回」というのが頭に付いていました。権威付けの意味もあったのでしょう。またこのシリーズのサブタイトル(?)は「日本プロレス開花20周年記念年」となっています。それだけにアリオン、マスカラスといった当時の人気No.1&2を呼んだのでしょう。

 続いては野目利ニ氏による「上半期の日本プロレス」なる読み物。この野目利ニとは鈴木庄一氏のPNでした。文中では日本プロレスのNWA内での地位が飛躍的に向上し、46年のNWA総会は日本で行われる可能性もあると書かれている。そしてここでも尾のシリーズではなく、ワールド大リーグ戦の展望が書かれている。

 

 

  

 続いては外人選手の紹介。トップはWWWF地区で「サンマルチノの後継者」として紹介され、人気投票の1位を獲得したスパイロス・アリオン。当時はオーストラリアを主戦場としており、肩書きもオーストラリア・ヘビー級チャンピオンとなっている。前述のように本決まりになっていた国際プロレスへの来日を阻止してまで招聘したアリオンだったが、日本では手を抜いたか全く振るわず。元々単調なパワーファイトを身上とした典型的なベビーフェイスなだけに日本では受けなくて当然ともいえよう。

 そのアリオンとは対照的に日本プロレス首脳の評価は低かったが、日本のファンの期待通りの活躍を下のがミル・マスカラスであった。当時は月刊グングがマスカラスを強力にプッシュ。ファンの期待を大いに煽っていた。来日第1戦では星野勘太郎を相手に空中殺法を披露しファンの心を掴んだ。もしデビュー戦の相手が大熊や大木だったらマスカラスはブレイクしなかったであろう。期待通りのファイトを展開したマスカラスだが、馬場がインター選手権の挑戦者に指名したのは期待はずれのアリオンであった。当時のニックネームは「千の顔を持つ悪魔仮面」となっている。

 続いてはアール・メイナード、ボビー・デュラントン、ボブ・ラムステッド、ボビー・シェーン、ダグ・ギルバートが紹介されている。ダグ・ギルバートの紹介を見ると「最近のファンには「ザ・プロフェッショナルを名乗る覆面レスラーのほうが通りがいい」とあるから、マスカラスとのマスクマンコンビのほうが人気を呼んだかもしれない。

  

 

  

 外人レスラーの次に登場は日本陣営の紹介。馬場、大木、吉村、猪木の順で紹介されている。これは映画の看板と同じで左端、右端・・・の順でトップから紹介すると言ういかにも日本的なレイアウトである。当時の猪木はタッグインターナショナル、オール・アジアの二冠王。さらに中堅レスラーとレフェリー、コーチの紹介。ミツ・ヒライにヤマハ・ブラザーズ、極道コンビといった役者揃い。当時の日本プロレスは本当に層が厚い。レフェリーはオキ・シキナ、ユスフ・トルコ、田中米太郎、ジョー樋口の4人、コーチは大坪清隆。そしてページ下段には新宿の小田急で行われた「日本プロレス大展覧会」の告知。アトラクションとして「基本訓練の実演、プロレス映画の映写」などがあったようだ。

  

 

 

 つづいては鈴木庄一氏によるシリーズの展望。インター・シングル、タッグ、オール・アジア・シングル、タッグの4大看板タイトル戦の展望が書かれているが、マスカラス、アリオンがどのような試合をするかというような予想ではなく、過去の防衛戦を振り返った内容になっている。

 続いては前座レスラーと、海外で活躍中のレスラーの近況が報告されている。ここで紹介されている前座レスラーは順に長沢秀幸、林牛之助、永源遙、新海弘勝、安達勝治、戸口正徳、轡田友継、木戸修、百田光雄、ドナルド・タケシ、佐藤昭夫、そしてまだあどけない藤波辰巳が紹介されている。長沢は当時ですでに最古参レスラーであった。

 下段は東京スポーツ中米特派員の芳本栄氏の「上田がワールド戦に凱旋参加する」という読み物。ドリー・ファンク・ジュニアの近況で始まり、上田と松岡のセメント・コンビがジョージア・タッグを獲得した詳細が報告されている。さらにメキシコで活躍していた駒、柴田の近況、テキサスで修行中の坂口の活躍も紹介されている。

 最後のページには「本日の組み合わせ」のゴム印が。当日(2月20日大阪府立体育会館)の組み合わせを原文のまま紹介しよう。

ドナルド・タケシ 15分1本 木戸修
永源遙 15分1本 林牛之助
大熊元司 15分1本 戸口正徳
星野勘太郎 20分1本 ボビー・シエーン
ミツ・ヒライ 20分1本 エール・マイナード
大木金太郎 30分1本 ロバーロ・ドラントン
グレート・小鹿 30分1本 スパイロス・アリオン
 ジャイアント・馬場 30分1本 ボブ・ラムスタツト
タッグマッチ選手権
吉村道明 アントニオ・猪木 60分3本 ダグラス・ギルバート ミル・マスカラス

しかし当時の組み合わせはなぜパンフと名称を統一していなかったのだろうか?広告のグリーンウッドというのは確か力道山が生前に着手していたレジャーランドだったと記憶する。そして裏表紙は三菱のカラーテレビ「高雄」の広告。「カラー調整ノータッチICオート電子忍法」なんて書いてあります。リアルタイムを知る人には懐かしい文句でしょう。

 当時の日本プロレスのパンフレットは非常にレイアウト的にも素晴らしく、資料的価値も高い内容になっています。すばらしいオタカラであります。

資料提供 DLじょな様