昭和プロレス秘宝館
国際プロレス 昭和49年 ワールド・チャンピオン・シリーズ パンフ
2003.4.11update
「昭和プロレス秘宝館」パンフレット・シリーズ。今回は国際プロレス史上最高のメンバーが揃ったといわれている昭和49年ワールド・チャンピオン・シリーズのパンフを紹介します。 表紙は当時のエースであるマイティ井上を中心にバーン・ガニア、ビル・ロビンソン、ニック・ボックウィンクル、レイ・スチーブンスのAWAのトップスターとIWEのスターであるラッシャー木村、グレート草津がずらりと並んだ豪華版。 表紙をめくると、国際プロレスが直営していた札幌の焼肉レストラン「国際亭」の広告。真ん中の写真で井上、木村、草津、浜口が乾杯しているが、表情が硬い!もっと盛り上がっているような写真を取れなかったのであろうか?その右には吉原社長の挨拶。 「かえりみますとこの1年間は、国際プロレスにとって、きびしい試練の年でした。TBS放映の打ち切り、ストロング小林の離脱、大剛の重傷と74年の前半は大きな波にもまれ続けました。しかし後半には東京12チャンネルの放映開始、井上のIWA選手権獲得と、前半のマイナスをとりかえしたばかりか、さらに上昇する態勢を整えるにいたりました。・・・」 と挨拶にあるように、昭和49年は国際プロレスにとって勝負の1年だった。その最後を締めくくるのにAWAのオールスター・メンバーをそろえたわけだが、観客動員は狙いを大きく下回るものであった。 続いては見開きでマイティ井上のIWA世界獲得を報じるグラフ。「グラハムを破る大金星」とある。 |
続いては特別参加のガニアとロビンソンの紹介。さらにAWA世界タッグコンビのボックウィンクルとスチーブンス、バディ・ウォルフ、キューバン・アサシンズが紹介されている。 |
つづいては草津、木村、浜口、寺西が紹介されている。特に面白い情報はない。続いては女子部の紹介で、これは貴重。このシリーズにはドナ・クリスティーヌ、ヴィッキー・ウィリアムスが来日。当時のアメリカの女子プロレスラーのポーズ写真というのは、非常にベタだと思う。続いては日本側の小畑千代、佐倉輝美、千草京子が紹介されている。小畑が締めているIWWAのベルトは、インターナショナル選手権のデザインをデフォルメしたような感じになっている。3人とも国際プロレスの女子部に参加するまで休業していたようである。 |
つづいては若手レスラーの紹介。6人の若手が紹介されているがとても地味!メンバーは田中忠治、稲妻二郎、大位山勝三、米村勉、スネーク奄美、若松市政。田中はもはや若手ではないが当時はプレーイング・コーチを務めていたようだ。右端には留学生のスミス・ハートも紹介されているが、顔がブレッド・ハートにそっくりである。レフリーは阿部修、前溝隆男、マンモス鈴木の三人。リングアナウンサーは竹下民夫とこれまたしみじみとしてしまう面子が揃っている。 続いては海外遠征中の若手の近況報告。グレート・サキこと紫と鶴見五郎はメキシコで活躍。鶴見はこの後NWA世界ライトヘビー級のベルトを巻く。ミスター珍はカンサスでトージョー・ヤマモトと南西部タッグを保持、八木宏はカナダで修行中であった。最後のページには寺西勇の「リングネーム募集中!」の告知が。1ヶ月で77通の投票があり、エドワード、フライング、スピーディー、ファイヤー、シャープ、スワロー、ミッキー、ジャッキー、パンサー、マッハ、カーペンティアなどが3票以上を集めていたようだ。しかしエドワードはまだしも「カーペンティア寺西」というのは直球過ぎると思うが。結局、気に入ったものがなかったのか、このリングネーム募集の企画はポシャってしまった。では、当日の取り組みを最後に掲載しておく。例によってレスラーの名前がいい加減。 ハート・スミス 15分1本 米村 勉 資料提供:存英雄様 |