昭和プロレス秘宝館

  

国際プロレス 昭和45年 ダイナマイト・シリーズ パンフ

2003.2.16update

 

  

 「昭和プロレス秘宝館」パンフレット・シリーズ。今回はスパイロス・アリオンを横取りされたことで有名な国際プロレスの昭和45年「ダイナマイト・シリーズ」のパンフを紹介します。

 このシリーズの目玉は国際プロレスがデイリースポーツとタイアップで行った「あなたがプロモーター」なるファン投票1位のスパイロス・アリオン、4位のブルー・ディモンの登場、そして海外修行に出ていたラッシャー木村の凱旋であった。しかし、アリオンは急病を理由に来日をキャンセル。これは日本プロレスが足止めをかけていたと言うのは現在では広く知られている事実である。このパンフの冒頭の「ダイナマイトシリーズのみどころ」という読み物でもアリオンをプッシュしただけにこのキャンセルは国際には痛かった。国際プロレスはアリオンの変わりに急遽メッサーシュミット(クラウス・カーロフ)を招聘したが、アリオン来日不能のアナをカバーすることは出来なかった。パンフにはアリオン欠場のおわびを印刷した紙切れが挟まれている。

 2ページ目には凱旋帰国したラッシャー木村が登場。木村は前シリーズの終盤に登場しドクター・デスと因縁を作っており、このシリーズ中の大阪府立体育会館大会で日本初の金網デスマッチを敢行する。

 続いては幻の強豪の最右翼だったスパイロス・アリオンが紹介されているが、前述したように来日をキャンセルしている。当時の国際プロレスのエースはサンダー杉山だったから、もし来日していればアリオンが杉山からIWA世界選手権を獲得し、木村がそれを・・・ということもあったかも知れぬ。となりにはブルー・ディモン1号が紹介されているが、これは前シリー時に参加していたレス・ウォルフが残留してマスクを被った偽者。本物のブルー・ディモンはビル・ドロモだったと言われる。ドロモであれば、国際に参加経験もあるので呼べない選手でもなかったと思うが・・・。

 

 

 

 続いてはエリッフ・フローリッチ、当時はシカゴで活躍していたギル・ヘイズ、前シリーズから残留のドクター・デスが登場。フローリッチはアクロバット・レスリングで日本でも人気を獲得した。ヘイズは昭和50年代に入りカナダに転戦してからは国際プロレスの常連となる選手で、ファン投票でも17位にランキングされている。ドクター・デスの正体はムース・モロウスキー。この人はマスクを被ったほうが調子がいい。

 続いては当時日本に定着していたジャック・クレイボーンが登場。腰のベルトはオーストラリア地区で認定されていたものだと思うが詳細は不明。黒潮太郎も外人枠で紹介されている。ミスター・タイガーは前シリーズに素顔のミスター・ブラウンで登場した男。東南アジアを主戦場とした白人レスラーで、44年の日本プロレスのシンガポール遠征にもミスター・エックスとして登場している。隣に紹介されている張永哲は来日せず。

 

 

  

  

 

  

 そして日本人レスラーが紹介されているが、当時IWA世界シングル、タッグ二冠王のエースだったサンダー杉山のスペースが非常に少ないのが気になる。草津は当時IWA世界タッグ王者。田中もIWAミッド・ヘビー級タイトルを持っていたはずだが、その事に付いては紹介されていない。また大剛とミスター珍が「悪玉コンビ」として紹介されているのも面白い。果たして本気で売り出す気があったのかどうかは疑問。

 続いては海外遠征中のレスラーの近況。小林は当時はドイツでハノーバー・トーナメントに参加。ジャック・デ・ラサルテーズ、ホースト・ホフマンと並ぶ3強との評価を現地で受けているとある。トーナメント終了後はAWAに殴りこみガニアの世界選手権に挑戦が予定されており、王座奪取に期待がかけられていた。21歳の井上は清美川とパリで修行に励んでいた。

 続いてはトピックスのコーナー。杉山はIWA世界選手権と花嫁を手に入れ「両手に花」の状態。遠征中は毎晩奥さんに電話していたと言う。そんな杉山も帰らぬ人となった。改めて冥福を祈りたい。他に井上の英会話が上達したのは黒潮太郎を実家に泊めて時に教えてもらったというコネタ。さらに以前研究室でも入手した8ミリの宣伝。1巻は「日本組の殺し技特集」2巻は「ガニア対小林戦」3巻は「カーペンティア、ロビンソンの必殺技特集」というラインナップ。上映時間は12〜13分で、各巻3500円!当時のファンにはなかなか手が出なかったのではないだろうか?下段のサス・スポーツプロダクトの広告のモデルはマイティ井上。まだ海外遠征前の頃の写真のようだが、当時からスター性を見込まれていたということだろう。

  

 

 

 最終ページは「若手精鋭人」ということで寺西勇、大磯武、浜口兵庫、紫鬼三、佐野浅太郎、本郷清吉が紹介されている。当時のレフェリーは阿部修、前溝隆男、マンモス鈴木の三人。リングアナウンサーは竹下民雄である。

 裏表紙には「あなたがプロモーター」のファン投票順位が発表されている。ちなみにジョニー・バレンタイン、ドクター・エックス(デストロイヤー)も票を集めたようだが来日済みのため除外したとのこと。しかしデストロイヤーが日本プロレスではデスト、国際ではエックスと名乗り分けて来日していたら面白かったかも?順位(カッコ内は得票数)は以下の通り。

1.スパイロス・アリオン(5241)、2.ミル・マスカラス(5197)、3.ザ・シーク(4053)、4.ブルー・ディモンズ(3411)、5.アーニー・ラッド(2965)、6.ロッキー・ジョンソン(2956)、7.ホセ・メンドーサ(2640)、8.ジョニー・ディファジオ(1986)、9.イゴール・ボディック(1678)、10.バロン・フォン・ラシク(1545)、11.イワン・コロフ(1218)、12.ザ・バイキング(1056)、13.サイレント・ロドリゲス(819)、14.ホースト・ホフマン(711)、15.ラーズ・アンダーソン(510)、16.ブル・ベドウ(508)、17.ギル・ヘイズ(446)、18.アール・メイナード(365)、19.オレゴン・ランバージャック(311)、20.ハンス・シュローダー(305)、21.トニー・ボーン(187)、22.スコット兄弟(185)、23.モンゴリアン・ストンパー(174)、24.ボブ・ジーゲル(162)、25.ミツ荒川、26.ジェシー・ジェームス、27.ジョニー・クオンゴ(121)、28.アラン・ザ・ロック・ロゴスキー(110)、29.ンボア(101)、30.ハリー藤原(98)、31.ワフォー・マクダニエル(81)、32.プロフェッサー田中(67)、33.ホイッパー・ビリー・ワトソン(56)、34.レス・ロバーツ(37)、35.ギロチン・ゴードン(29)、36.アントニオ・ロッカ(8)

以上、順位が赤文字のレスラーは投票の参考に掲載された名簿にはリストアップされていなかったレスラー。以上36人のうち国際プロレスが最初に呼んだのはバロン・フォン・ラシク、ホースト・ホフマン、ギル・ヘイズ、ワフー・マクダニエルのみであった。

資料提供:福岡のN様