武徳会系の柔道家で大阪の中学で柔道教師をしていたが、1920年代に柔道教師としてイギリスに招かれる。ここでレスリングを身につけ、プロレスのリングに登場。グレート・ガマとも対戦したという。
その後、渡米し東部、中西部、太平洋岸など各地を転戦。マジソン・スクエア・ガーデンにも出場している。エド・ルイス、ディック・シカット、ジム・ロンドスといった世界王者級の選手とも戦った。
昭和3年(1928年)にはベルソート(カナダ)、ベルダラメン(イギリス)、アスバードル(アメリカ)というレスラーたちを帯同して帰国。これを受けて「大日本レッスリング普及会」が発足し、プロレスの普及を試みるが、当時の日本にはプロレスはなじまなかったようだ。
アメリカではメケ三宅との名乗り、マティ・マツダとも一緒に試合に出場していた。 |