土佐の花 Tosanohana
 竹村 正明 Masaaki Takemura
  ■ニックネーム:法界坊
■本名:竹村 年雄
身長・体重:178センチ、105キロ
生年月日:1926年4月18日(故人)
■出身地:高知県出身
得意技:
■主要タイトル:なし
■所属団体:日本プロレス
 
 土佐の花の四股名で三段目まで昇進したが、昭和29年にプロレス転向。博打に入り浸るなど素行が悪く昭和30年に破門されるが、後援者H氏の口利きで復帰。ヘビー級選手として期待を集め「第4回ワールド大リーグ戦」にも1試合ながら出場。しかし、力道山とトラブルを起こし昭和38年に再び日本プロレスを解雇される。

 門茂男氏の著書によれば、引退後「月に行くからパスポートがいる!」など、意味不明な発言をし周囲を心配させたという。

 竹村の死因については、「手術に失敗したことを恨み執刀医の息子を殺害し、自らも短刀で自害した」と門茂男氏の本では書かれているが、当研究室・研究員のねひつじ氏の調査によれば、殺害したのは昭和30年に破門された後、復帰の口利きをしてくれた後援者H氏の息子で、昭和38年に解雇された際の退職金をH氏がピンハネしていたのではないかと被害妄想に取りつかれ、H氏宅に取り立て行ったが、代わりに対応したH氏の息子を刺殺。本人も逃亡中に心臓をさして自殺したというのが真相のようである。

(情報提供:ねひつじ様)