高野 直樹 Naoki Takano
  ■ニックネーム:
■本名:高野 直樹
身長・体重:173センチ、75キロ
生年月日:1962年8月9日(2016年7月2日没)
■出身地:福岡県鞍手郡出身
得意技:
■主要タイトル:なし
■所属団体:全日本プロレス
 
 昭和56年の「第9回チャンピオン・カーニバル」中の4月7日の徳島大会で百田光雄戦でデビュー。6試合ほどに出場しているが、シリーズ終了後に廃業してしまったようである。

(2016.11.18追記)
高野選手の奥様から情報をいただきました。

 ジョージ高野の従兄弟で、ジョージを頼って新日のテストを受けたが落ちて、新宿にあるプロレス関係者のレストラン住み込みで働いて練習しながら全日本プロレスの入門テストを受けた。入門の際にはジョージ高野の従弟であることは隠していたという。

 昭和55年10月に18歳で全日本プロレスに入門。そして昭和56年4月7日の徳島大会でデビュー。入門から5ヶ月で異例の最速デビューをしたが、練習中のブリッジで100キロ級の選手が3人、腹の上に乗った際に頚椎を痛めて、左半身に痺れが出てしまい、そのことを隠して引退。辞めた理由はジャイアント馬場社長も知らなかったという。

 ディック・マードックには「カヨリ(コヨーテ)」とニックネームを付けられ、実の息子のように可愛がられ、同期の三沢光晴選手とも大の仲良しだった。

 引退後は、高野十座という名前で歌手として活躍した(両親ともに歌手で、母親は村田英雄の弟子で浪曲師、父は船村徹の弟子で流しをしていた)が、2016年7月に急性心筋梗塞で他界。


(2020.7.28追記)
またUMA研究家としても活動し、生前運営していたブログは今も閲覧可能。
http://13shoejiu-the.blog.jp/

ザ・コブラの「evil」と呼ばれるマスクもデザインしている。

 (写真提供:高野選手の奥様)