ワルドー・フォン・エリック Waldo Von Erich | ||
昭和47年来日時 昭和51年来日時 |
■ニックネーム:電撃男 ■本名:ウォルター・ポール・ジーバー ■身長・体重:193センチ、120キロ ■生年月日:1933年10月2日(2009年7月5日没) ■出身地:カナダ・オンタリオ州トロント出身 ■得意技:プロシアン・ドロップ ■主要タイトル: 南部タッグ(ミッドアトランティック版) テキサス・ヘビー カナダ・ヘビー(カルガリー版) WWF・USタッグ アメリカン・タッグ(ダラス版) 北米ヘビー(カルガリー版、トライステート版)) IWA世界タッグ(オーストラリア版) NWF世界ヘビー NWF北米ヘビー オーストラアジアン・ヘビー オーストラアジアン・タッグ USタッグ(トライステート版) ■来日回数:4回 ■参加シリーズ: 42 4 (日) 第9回ワールド大リーグ戦 42 5 (日) アイアン・クロー・S(残留) 43 1 (T) オープニング・ワールド・S 47 9 (日) 第3回NWAタッグ・リーグ戦 51 9 (全) ジャイアント・S |
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フリッツ・フォン・エリックの実弟と言う触れ込みで売り出し南部タッグやアメリカン・タッグを獲得して売り出したが、実際は血縁関係はなかった。 実力はなかなかのもので全米各地でタイトルを獲得し、MSGではブルーノ・サンマルチノを大いに苦しめた実績を持つ。日本プロレスの「第9回ワールド大リーグ戦」でも後一歩で決勝進出と言う好成績を残した。 しかし、それ以降の来日ではやや生彩を欠いた。全日本プロレスに登場した際には、大木金太郎のアジア・ヘビー級王座に挑戦したが、完敗を喫している。 アメリカやカナダだけではなく、オーストラリアでも悪党人気を獲得。オーストラリアでは、サムソン・クツワダ(グレート・トージョー)との日独軍人コンビで暴れた。 2009年7月5日、オンタリオの病院で逝去。 |
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