ドリー・ファンク・ジュニア Dory Funk Jr.

初来日当時

昭和54年当時

昭和56年当時(提供:大隅良雄様)
  ■ニックネーム:テキサスの若駒
■本名:ドリー・アーネスト・ファンク・ジュニア
身長・体重:190センチ、110キロ
生年月日:1941年2月3日
■出身地:米・インディアナ州インディアナポリス出身
得意技:スピニング・トーホールド
■主要タイトル:
 NWA世界ヘビー
 北米ヘビー(アマリロ版)
 インターナショナル・ヘビー
          (全日本プロレス版、アマリロ版)
 インターナショナル・タッグ(日本プロレス版、アマリロ版)、 アメリカスヘビー
 世界タッグ(ロス地区、テキサス地区)
 ミッドアトランティック・ヘビー
 ミズーリ・ヘビー
 フロリダ・ヘビー
 ジョージア・タッグ
 プエルトリカン・ヘビー
 WWCユニバーサル・ヘビー
 WWC北米タッグ
■来日回数:34回
■参加シリーズ:
 4411(日)【特】 NWAシリーズ
 45 7(日) NWAワールド・チャンピオンS
 46 11(日)【特】 ワールド・チャンピオン・S
 48 7(全) 【特】サマー・アクション・S
 48 9(全)【特】ワールド・チャンピオン・S
 4810(全)【特】創立1周年記念ジャイアント・S
 49 1(全)【特】新春NWA・S
 49 8(全)【特】サマー・アクション・S第2弾
 50 2(全) 【特】エキサイト・S
 5012(全) オープン選手権大会
 52 12(全) 世界オープン・タッグ選手権大会
 53 12(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦
 54 7(全)【特】サマー・アクション・S
 54 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦
 55 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦
 56 4(全)【特】インター・チャンピオン・S
 56 10(全) ジャイアント・S
 56 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦
 57 4(全) グランド・チャンピオン・S
 57 10(全)【特】 ジャイアント・S
 57 11(全) 82世界最強タッグ決定リーグ戦
 58 3(全)【特】グランド・チャンピオン・カーニバルT
 58 8(全)【特】スーパー・パワー・S
 58 11(全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦
 59 3(全) 【特】グランド・チャンピオン・カーニバルT
 59 8(全)【特】 スーパー・パワー・S
 59 11(全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦
 60 8(全)【特】85決戦!ダイナマイト・ウォーズ
 60 10(全)【特】ワールド・チャンピオン・カーニバル
 60 11(全) 85 世界最強タッグ決定リーグ戦
 61 10(全)【特】86 ジャイアント・S
 61 11(全) 86 世界最強タッグ決定リーグ戦
 62 3(全) 87 チャンピオン・カーニバル
 6211(全) 87世界最強タッグ決定リーグ戦
 
 プロレスのスタイルを大きく変えたNWA世界チャンピオン。それまでの大技一発で決めるスタイルとは違い、大技を連発する事により勝利を狙うスタイルの創始者といえよう。特に昭和44年大阪でのアントニオ猪木とのフルタイムの世界戦はいまだに名勝負として語り草となっている。馬場の独立後は全日本プロレスの看板外人となりブッカーも務めていた。
 平成10年に29年ぶりにリングで猪木と顔を合わせたが、これがたたってかジャイアント馬場の追悼セレモニーにはお呼びがかからなかった。引退後はWWFでトレーナーを勤めていた。2001年にはファンクスとして新日本プロレスに登場。昭和のファンに「これが20年前に実現していたら」と大いに残念がらせた。オフィシャルサイトはこちら