ドリー・ファンク Dory Funk |
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■ニックネーム:テキサス・ブロンコ ■本名:ドランス・ウィルヘルム・ファンク ■身長・体重:183センチ、100キロ ■生年月日:1919年5月4日(1973年6月3日没) ■出身地:米・インディアナ州ハモンド出身 ■得意技:スピニング・トーホールド ■主要タイトル: サウスウエスト・ジュニアヘビー 北米ヘビー(アマリロ版) パシフィックコースト・タッグ(バンクーバー版) NWA世界ジュニア・ヘビー ウエスタンステーツ・ヘビー ■来日回数:2回 ■参加シリーズ: 44 11(日)【特】NWAシリーズ 47 10(全)【特】旗揚げジャイアント・S |
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アマリロのプロモーター兼レスラーで、現役時代は悪役として売り、世界ジュニア・ヘビー級のチャンピオンにもなっている。二人の息子を世界チャンピオンに育て上げた実力者で、アメリカマット界では一目を置かれていた。日本プロレスへはジュニアのマネージャーとして来日したが2試合に出場した。全日本プロレスにはレスラーとして参加しリングに登場した。 現役時代はバンクーバー地区でザ・アウトローと名乗ってルー・テーズとのコンビでパシフィックコースト・タッグを獲得したこともある。1973年6月にパーティーの余興として行なったシュート・スパーリング(相手はゴードン・ネルソン)の途中で心臓発作をおこし、帰らぬ人となった。 |
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