ディノ・ブラボー Dino Bravo

(撮影:HARU一番様)
  ■ニックネーム:カナダの若虎
■本名:アドルフォ・プレシアーノ
身長・体重:185センチ、110キロ
生年月日:1948年8月6日(1993年3月11日没)
■出身地:カナダ・ケベック州モントリオール出身
得意技:アトミック・ドロップ、エアプレンスピン
■主要タイトル:
 グランプリ・タッグ(モントリオール版)
 アメリカス・ヘビー
 アメリカス・タッグ
 NWA世界タッグ(ミッドアトランティック版)
 WWWFタッグ
 インターナショナル・ヘビー(モントリオール版)
 カナディアン・ヘビー(トロント版、AWA版、WWF版)
■来日回数:3回
■参加シリーズ:
 56 10(新) 10・8新日本VS国際全面対決
 56 10(新) 闘魂S(残留)
 57 11(新) 第3回MSGタッグ・リーグ戦
 58 5(新) lWGP決勝リーグ
 
 二代目のディノ・ブラボーである。イタリア出身で4歳のときにカナダのモントリオールに移住したといわれていたが、元々モントリオールの出身だったようだ。モントリオールで頭角を現し、ロスでアメリカス王座を獲得品を上げた。その後は、主にカナダ、アメリカの東海岸で活躍、ドン・デヌーチとのコンビでWWWFタッグ王者となりスターとなる。
 昭和56年の「闘魂シリーズ」の待望の初来日。ブッチャーとのシングル・マッチで大いに株を上げ、長州力とのコンビで売り出されるかに見えたが、その後の来日では低調だった。力を頼りにした直線的なファイトが日本では受けなかったようだ。 「lWGP決勝リーグ」には来日したものの、家に強盗が押し入ったため試合に出ずにすぐ帰国している。1993年にビジネスのトラブルで射殺されるというショッキングな死を迎えた。