スーパースター・ビリー・グラハム Superstar Billy Graham

初来日時(写真撮影:HARU一番様)

昭和57年来日時
  ■ニックネーム:鉄腕
■本名:エルドリッジ・ウエイン・コールマン
身長・体重:195センチ、130キロ
生年月日:1943年9月10日
■出身地:
米・アリゾナ州パラダイスバレー出身
得意技:カナディアン・バックブリーカー、ベアハッグ
■主要タイトル:
 NWA世界タッグ(シスコ版)
 ハワイ・ヘビー
 IWA世界ヘビー(国際プロレス版)
 フロリダ・ヘビー
 南部ヘビー(フロリダ版)
 WWWFヘビー
 CWA世界ヘビー
■来日回数:5回
■参加シリーズ:
 49 9(国) スーパー・ワイド・S
 51 8(新)【特】闘魂S
 53 2(新)【特】新春黄金S
 54 4(国) ビッグ・チャレンジ・S
 57 1(新)【特】新春黄金・S
 
 カルガリーでスチュ・ハートのコーチを受け本名でデビュー。ロスに転戦した際にジェリー・グラハムに見込まれ、ビリー・グラハムに改名し、ロスとサンフランシスコをまたにかけて活躍する。その後、AWAエリアに転戦してワフー・マクダニエルとの抗争でブレイク。そのルートでIWA世界ヘビー級王者として、国際プロレスに初来日を果たすが、マイティ井上に王座を奪われる。
 その後、WWWFに登場し、WWWFと提携していた新日本プロレス登場するが、猪木には完敗を喫した。その翌年に、ブルーノ・サンマルチノに引導を渡した事で一流と評されるようになった。王者として再び新日本プロレスに登場し坂口征二の挑戦を受け、リングアウトがちで辛うじて王座防衛に成功している。
 1978年にボブ・バックランドに破れ、WWWF王座から転落すると、テネシーに転戦してCWA世界ヘビー級王座を奪取。そのルートで国際プロレスに再登場したが、ラッシャー木村との金網デスマッチではKO負けを喫した。その後、死亡説も流れたが、昭和57年に新日本プロレスに登場。スキンヘッドに口ひげを生やして、イメージチェンジを行なっており、ファンを驚かせた。
 マッチョ系レスラーの元祖的存在で、ハルク・ホーガンやジェシー・ベンチュラ、オースチン・アイドルなど、彼のフォロワーは多い。特にマネージャーのグラン・ウィザードと共に行なうマイクパフォーマンスがアメリカでは受けた。傲慢な気障男スタイルで不人気のトップにランクされていたが、実生活では謙虚で試合の批評を素直に聞くタイプだったと言うから解らない。アメリカでは評価の高いグラハムだが、日本ではマイクパフォーマンスが通じず、さらに試合振りも大味だったため、当時の評価はイマイチで「デクの坊」のレッテルがはられた。良くも悪くもアメリカン・プロレスの象徴のようなレスラーといっていいだろう。
 日本にはあまり情報が入らなかったが、アメリカではWCW、WWFで長く活躍していた。スー・インディアンとの混血という説もある。