スタン・ハンセン Stan Hansen | ||
初来日当時 昭和52年8月当時 |
■ニックネーム:不沈艦 ■本名:ジョン・スタンレー・ハンセン ■身長・体重:192センチ、135キロ ■生年月日:1949年8月29日 ■出身地:米 ・テキサス州ナックシティ出身 ■得意技:ウエスタンラリアート ■主要タイトル: USタッグ(オクラホマ版) 北米ヘビー(オクラホマ版) ジョージア・ヘビー ジョージア・タッグ NWFヘビー PWFヘビー インターナショナル・タッグ(全日本プロレス版) AWA世界ヘビー 三冠ヘビー ■来日回数:48回 ■参加シリーズ: 50 9(全) ジャイアント・S 52 1(新) 新春黄金・S 52 8(新) 闘魂S 54 4(新) 第2回MSG・シリーズ 55 1(新) 新春黄金S 55 2(新)【特】 ビッグ・ファイト・S 55 4(新) 第3回MSG・シリーズ 55 8(新) ブラディ・ファイト・S 55 9(新)9・31ファン感謝スーパーファイト(残留) 55 11(新) 第1回MSGタッグ・リーグ戦 56 4(新) 【特】WWFビッグ・ファイト・S第2弾 56 5(新) 第4回MSG・シリーズ 56 6(新) 6・25スーパーファイト 56 8(新) ブラディ・ファイト・S 56 10(新) 10・8新日本VS国際全面対決 56 11(新) 第2回MSGタッグ・リーグ戦 57 1(全)【特】 新春ジャイアント・S 57 4(全) グランド・チャンピオン・S 57 5(全) エキサイト・S 57 8(全) スーパー・パワー・S 57 11(全) 82世界最強タッグ決定リーグ戦 58 3(全) グランド・チャンピオン・カーニバルT 58 8(全) スーパー・パワー・S 58 9(全)【特】 ジャイアント・S 58 11(全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦 59 3(全) グランド・チャンピオン・カーニバルT 59 7(全) グランド・チャンピオン・カーニバルV 59 8(全)【特】 スーパー・パワー・S 59 11(全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦 60 3(全) 85激烈!スーパー・パワー・ウォーズ 60 5(ジ) ビッグラリアート・フェスティバル 60 6(全) 85 熱風!サマー・アクション・ウォーズ 60 8(全) 【特】85決戦!ダイナマイト・ウォーズ 60 11(全) 85 世界最強タッグ決定リーグ戦 61 3(全) チャンピオン・カーニバル86 61 7(全) 86 サマーアクションS 61 8(全)【特】 86 サマーアクション・SU 61 10(全)【特】 86 ジャイアント・S 61 11(全) 86 世界最強タッグ決定リーグ戦 62 3(全) 87 チャンピオン・カーニバル 62 7(全) 87 サマー・アクション・S 62 8(全) 87 サマー・アクション・S U 62 11(全) 87 世界最強タッグ決定リーグ戦 63 2(全)【特】 88 エキサイト・S 63 3(全)【特】 88 チャンピオン・カーニバル 63 7(全) 88 サマー・アクション・S 63 8(全) 88 サマー・アクション・S U 63 10(全) 【特】88 ジャイアント・S 63 11(全) 88 世界最強タッグ決定リーグ戦 |
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昭和50年に全日本プロレスの「ジャイアント・シリーズ」に初来日。この時は新人の域を出なかったが、帰国後MSGに乗り込み、ボディスラムの失敗とは言えサンマルチノの首を折ったことで一躍スターになる。しかし、試合が荒すぎるため各地のプロモーターから干された所を、上田馬之助(当時の奥さん同士が親友だった)の紹介で新日本プロレスに登場した。 とどまるところを知らない突進ファイトでアントニオ猪木を苦しめ、新日本プロレスの昭和50年代を代表する看板外人レスラーとなった。そしてついにはNWFヘビー級王座を獲得し、名実共に新日本プロレスのトップ外人となる。 昭和56年の世界最強タッグリーグの決勝戦にブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ組のセコンドとして突如現れ、テリー・ファンクをウエスタン・ラリアートでKO。飛び込んでみた馬場を大乱闘を繰り広げ、ファンを驚かせた。これをきっかけに全日本プロレスにUターンし、来日も軽く100回を越えている。日本で最も成功した外人レスラーといえよう。必殺技のウエスタンラリアートは現在最もポピュラーなプロレス技となっている。 |
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提供:セブン氏 |