ザ・シーク The Sheik | ||
■ニックネーム:アラビアの怪人 ■本名:エドワード・ファーハット ■身長・体重:183センチ、110キロ ■生年月日:1926年6月9日(2003年1月18日没) ■出身地:米・ミシガン州ランシング出身 ■得意技:キャメルクラッチ、火炎攻撃 ■主要タイトル: テキサス・ヘビー USヘビー(シカゴ版・デトロイト版) アメリカス・ヘビー UNヘビー ハワイ・ヘビー ■来日回数:16回 ■参加シリーズ: 47 9(日) 【特】第2次サマー・ビッグ・S 48 3(全)【特】第1回チャンピオン・カーニバル 49 11(新)【特】闘魂S第2弾 52 12(全) 世界オープン・タッグ選手権大会 53 12(全)【特】世界最強タッグ決定リーグ戦 54 7(全)【特】 サマー・アクション・S 54 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦 55 3(全)【特】第8回チャンピオン・カー二バル 55 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦 56 1(全)【特】新春ジャイアントS 56 5(全) スーパー・パワー・S 56 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦 |
||
ヨルダン・アンマン出身といわれているがこれはギミック。我々が知るザ・シークはほとんど場外で暴れまくっていた印象しかないが、その昔はジュニア・ヘビー級ランキングの常連で、1969年にはデトロイトでビッグ・サカの挑戦を受けたUS選手権で60分フルタイムの引き分け試合を行なっている。全日本プロレスに頻繁に来日していた頃には完全に峠を過ぎていたが観客を追いまわす姿は鬼気迫るものがあった。1960年代にはニューヨークを始めロスやアメリカ各地で活躍したが、1970年代にデトロイト地区の興業権を手に入れてからは同地区から出ることはあまりなくなった。 日本では倉持アナに暴行を働き血だるまにした事件が印象的。新日本プロレスに参加した時は、猪木の凶器攻撃に試合放棄し、そのまま帰国しているが、これはデトロイトで興業戦争が勃発したための緊急帰国であった。後年、自己破産したといわれている。2003年1月に逝去。 甥がサブゥであることは有名だが、息子のエド・ファーハット・ジュニアも「キャプテン・エド・ジョージ」としてデビューしていたことはあまり知られていない。 |
||
提供:HARU一番様 |