インカ・ペルアーノ(*) Inca Peruano ジョー・ソト Joe Soto ブルー・デビル(**) The Blue Devil ロッキー・トマヨ(***) Rockey Tomayo |
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インカ・ペルアーノ ブルー・デビル ロッキー・トマヨ(撮影:HARU一番様) |
■ニックネーム:ペルーの殺し屋 ■本名:ビクター・アルバート・タマヨ・ソト ■身長・体重:187センチ、110キロ ■生年月日:1941年(2016年10月30日没) ■出身地:ペルー出身 ■得意技:レッグブリーカー ■主要タイトル:NWA世界タッグ(テネシー版) ■来日回数:4回 ■参加シリーズ: 47 3(新)旗揚げオープニング・S (*) 49 4(全) 第2回チャンピオン・カー二バル 49 9(全)ジャイアント・S (**) 52 10 (全) ジャイアント・S (***) |
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テネシーやジョージアで活躍していたラフファイター。テネシーでは、タマヨ・ソトのリングネームにもかかわらず、なんとジャップ・ギミックでトージョー・ヤマモトとのコンビで暴れNWA世界タッグを獲得している。 新日本プロレスの「旗揚げオープニングシリーズ」にはインカ・ペルアーノというリングネームで登場。これは日本向けの変名で新日本プロレスへ参加した事でアメリカマットでシャットアウトされる危険性があった為だ。ちなみにインカ・ペルアーノというリングネームはイギリスで実在していた。これをカール・ゴッチが借用して命名したのであった。 このオープニング・シリーズに参加したレスラーはすべて変名を使っている。 ジョー・ソトの名で全日本プロレスの「第2回チャンピオンカーニバル」に参加。続いて覆面のブルー・デビルとして来日したが、これはジョージアでスーパー・アサシンズ1号を名乗っていた頃のマスクを被ったもの。スーパー・アサシンズ2号はフランク・マルチネスであった。ちなみに後にテネシーではブルー・デモンズを名乗っていた。つまり、国際プロレスが昭和44年に行なった「あなたが呼びたいレスラー」投票で上位に入ったブルー・ディモンズの片割れがこのジョー・ソトだったのである。 最後の来日では素顔でプエルトリコ、WWFでのリングネームであるロッキー・タマヨとして登場。来日するたびにリングネームを変えていた珍しいレスラーである。 |
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