ジン・キニスキー Gene Kiniski | ||
■ニックネーム:荒法師、戦う機械 ■本名:ユージン・ニコラス・キニスキー ■身長・体重: 193センチ、115キロ ■生年月日:1928年11月23日(2010年4月14日没) ■出身地:カナダ・アルバータ州エドモントン出身 ■得意技:シュミット式バックブリーカー ■主要タイトル: NWA世界ヘビー AWA世界ヘビー インターナショナル・ヘビー (モントリオール版、日本プロレス版) アジア・タッグ(日本プロレス版) NWA世界タッグ(シスコ版) ハワイ・ヘビー 北米ヘビー(ハワイ版) 大英帝国ヘビー(バンクーバー版、トロント版) ミズーリ・ヘビー パシフィックコースト・ヘビー(バンクーバー版) ■来日回数:8回 ■参加シリーズ: 39 4(日) 第6回ワールド大リーグ戦 39 5(日) ワールド選抜S(残留) 42 8(日) 【特】第一次サマー・S 43 11(日) 【特】NWAチャンピオン・S 45 11(日) インター・チャンピオン・S 47 11(日) 【特】インター選手権・S 49 3(全)【特】エキサイト・S 50 4(全) 第3回チャンピオン・カーニバル 54 4(全)【特】NWAチャンピオン・S |
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アメフトのエドモントン・エスキモーズで活躍していたところをエディ・クインにスカウトされてプロレス入り。大型ラフファイターでNWA世界王者として来日するが、防衛戦は行なわず逆に馬場のインターに挑戦し大いに苦しめた。昭和45年にはに馬場からインター王者を奪い、アメリカにタイトルを持ち帰ったこともある。 日本プロレス崩壊後は、全日本プロレスに登場。昭和50年には、新日本プロレスの「第2回ワールド大リーグ戦」に来日の噂が立ったが、一転して全日本プロレスの「第3回チャンピオン・カーニバル」に登場。地元のバンクーバーではかなり長期間活躍、最後の来日では老体をさらしオールド・ファンを嘆かせた。NWAとAWAの両世界タイトルを獲得したレスラーは彼しかいない。ふたりの息子(ケリー、ニック)もレスラーになっているが、父の領域には到底及ばなかった。2010年4月14日永眠。 |
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