ザ・ストンパー (*) The Stomper モンゴリアン・ストンパー The Mongolian Stomper |
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ザ・ストンパー時代 (撮影:HARU一番様) |
■ニックネーム:踏み潰し野郎 ■本名:アーチバルト・エドワード・ゴルディ ■身長・体重:190センチ、120キロ ■生年月日:1935年11月2日(2016年1月23日没) ■出身地:カナダ・アルバータ州カーボン出身 ■得意技:ストンピング ■主要タイトル: USヘビー(セントラルステーツ地区) セントラルステーツ・ヘビー 北米ヘビー (カルガリー版、マリタイム地区、セントラルステーツ地区) AWA南部ヘビー ナショナル・ヘビー(ジョージア版) CWAインターナショナル・ヘビー プエルトリコ・ヘビー ■来日回数:5回 ■参加シリーズ: 46 1(日) 新春チャンピオン・S (*) 47 11(日) インター選手権・S (*) 54 11 (国) デビリッシュ・ファイト・S 55 2 (国) スーパー・ファイト・S 57 3 (全) 第10回チャンピオン・カーニバル 57 4 (全) グランド・チャンピオン・S(残留) |
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「踏みつぶし屋」の異名どおり相手をひたすら蹴りまくり、ダウンしたところを踏みまくるというブル・ファイター。幻の強豪と呼ばれていた頃はキラー・カーンのように口髭に弁髪というモンゴル人スタイルであった。テリー・ファンクのNWA世界選手権に挑戦して、血だるまにし一度はベルトを巻いたという強豪。 ジャイアント馬場が苦手にしており、昭和46年のインター選手権で両者リングアウトの引き分け、昭和57年の「チャンピオン・カーニバル」開幕戦でも両者反則の痛み分けに持ち込んでいる。 セントルイスでは修行時代のアントニオ猪木のパートナーを勤めた。後に猪木がカルガリーに遠征し、ケリー・ブラウンと対戦した際には、助っ人として登場したこともある。新日本プロレスとパイプのあったカルガリーを長らく主戦場としていたにもかかわらず、新日本プロレスにはなぜか一度も来日しなかった(来日が内定したことはあったが、中止になっている)。 息子もレスラーになり、カルガリーでコンビを組んでいたが、大成せずに終わった。 2016年1月23日、心臓発作のため急死。晩年はアルツハイマー病を患っていたという。 |
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