マイク・パドーシス Mike Paidousis テネシー・レベル(*) Tennessee Rebel |
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テネシー・レベル |
■ニックネーム:重戦車 ■本名:マイケル・ジョージ・パドーシス ■身長・体重:180センチ、110キロ ■生年月日:1924年1月5日(2002年9月9日没) ■出身地:米・オハイオ州スチューベンビル出身 ■得意技:エアプレーン・スピン ■主要タイトル: セントラルステーツ・ヘビー アメリカン・タッグ(ダラス版) インターナショナル・タッグ(日本プロレス版) ■来日回数:5回 ■参加シリーズ: 34 9 (日) プロレス秋の国際試合 41 9 (日) ダイヤモンド・S 43 2 (日) ダイナミック・S (*) 46 11 (日) ワールド・チャンピオン・S 48 1 (国) 新春パイオ二ア・S |
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初来日時はすさまじい暴れっぷりを示し、力道山が「あまりにも強すぎる」という理由で途中帰国させたと言う伝説を持つ。当時の雑誌では、マイク・プイデュースと表記されている。 2度目の来日時はフリッツ・フォン・ゲーリングとのコンビでインターナショナル・タッグ選手権者として来日するが、馬場、吉村組に王座を奪取された。本人はインター選手権を日本においてきた事を長年悔やんでおり、昭和46年に一緒に来日していたザ・ファンクスがBIコンビから同王座を奪取した時には思わず号泣していたというエピソードがあるが、ゲーリングとのコンビは日本向けの急造コンビで、彼らがインターナショナル・タッグ王者チームだったという記録は無い。 昭和43年の3度目の来日では、マスクを被りテネシー・レベルのリングネームで登場。素顔の時よりも悪どい反則を見せていたようだ。国際プロレスに登場した頃は、かなり衰えていた。 |
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