マイク・ジョージ Mike George | ||
初来日時(撮影:HARU一番様) 昭和56年来日時(写真提供:JGD様) |
■ニックネーム:雷光男 ■本名:? ■身長・体重:186センチ、125キロ ■生年月日:1950年 ■出身地:米・ミズーリ州マーシャル出身 ■得意技:ダイビングヘッドバット ■主要タイトル: セントラルステーツ・ヘビー 南部ヘビー(フロリダ版) USタッグ(トライステート版) 北米ヘビー(ミッドサウス版) ミシシッピー・ヘビー ルイジアナ・ヘビー トライステート・ヘビー トライステート・タッグ ミッドサウス・タッグ カンサス地区世界タッグ WWA世界ヘビー(カンサス版) ■来日回数:5回 ■参加シリーズ: 50 4 (全) 第3回チャンピオン・カーニバル 55 4 (国) ビッグ・チャレンジ・S 56 1 (国) 新春パイオニア・S 58 1(新)【特】新春黄金・S 62 2 (全) 87 エキサイト・S |
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ミズーリ州出身で大学を卒業後、ゲスト・カラスにスカウトされプロレス入り。ロニー・エチソン、ハリー・レイスのコーチを受けてデビュー。デビューまもなく全日本プロレスに初参加、この時はキャリア不足を露呈したが、帰国後めきめき頭角を表わし、中西部地区のタイトルを総なめにした。次期世界王座候補にも名を挙げられ、1981年にはハリー・レイスから2フォールを奪い幻の王者となっている。この年国際プロレスのルー・テーズ杯争奪戦に参加、決勝進出を果たすが、決勝リーグ開催を目前にして国際プロレスは崩壊。 2年後、新日本プロレスで苦戦するラッシャー木村の助っ人として参加するなど義理堅いナイス・ガイであった。引退後は車のセールスマンに転進。NWA崩壊後はカンサス版のWWAに参加、蝶野正洋とも抗争を展開。全日本プロレスでジャンボ鶴田とがんがんやってほしかった選手。 |
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