クルト・フォン・ストロハイム Kurt Von Stroheim |
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(撮影:HARU一番様) |
■ニックネーム:ナチの残虐者 ■本名:ウィリー・クルト・ラトゴスキー ■身長・体重:188センチ、112キロ ■生年月日:1923年12月19日(1993年2月17日没) ■出身地:リトアニア・サウゴス出身 ■得意技:ニードロップ ■主要タイトル: インターナショナル・タッグ(テキサス版) WWA世界タッグ(ロス版) NWA世界タッグ(フロリダ版、テネシー版、テキサス版、 シスコ版、デトロイト版) IWA世界タッグ(オーストラリア版) テネシー・タッグ ミッドアメリカ・タッグ ■来日回数:3回 ■参加シリーズ: 39 10(日)【特】 プロレス秋の陣 39 12(日) WWA世界選手権S(残留) 44 5(日) ゴールデン・S 52 10(新) 闘魂S 第2弾 |
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ナチスのギミックで売ったレスラーで、1950〜60年代にカール・フォン・ストロハイムとのストロハイム兄弟で活躍した古豪。体格的にもなかなかの大型であった。1960年代中盤からはテネシー地区で2代目クルト・フォン・ブラウナーに改名し、カール・フォン・ブラウナーとの2代目ブラウナー兄弟として暴れた。日本ではクルト・フォン・ストロハイムで通した。 最後の来日では、「さすがベテラン」という巧さを見せ、パット・パターソンとのコンビでNWA北米タッグ王座への挑戦権を与えられたが、直前に負傷し挑戦権をスティーブ・ライトに譲っている。 |
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