キラー・カール・クラップ Killer Karl Krupp

(撮影:HARU一番様)
  ■ニックネーム:青銅の爪
■本名:ジョージ・モンバーグ
身長・体重:193センチ、118キロ
生年月日:1934年5月13日(1995年8月24日没)
■出身地:オランダ出身
得意技:ブロンズ・クロー、アイ・クロー
■主要タイトル:
 北米ヘビー(マリタイム版、プエルトリコ版)
 インターナショナル・タッグ(日本プロレス版)
 パシフィックノースウエスト・タッグ
 南部ヘビー(フロリダ版)
 テキサス・ブラスナックル・ヘビー
 オーストラアジアン・タッグ
 英連邦ヘビー(ニュージーランド版)
 AWA南部タッグ
■来日回数:10回
■参加シリーズ:
 48 2(日) ダイナミック・S
 48 4(日) アイアンクロー・S
 49 4(新) 第1回ワールド大リーグ戦
 50 4(新) 第2回ワールド大リーグ戦
 51 4(新) 第3回ワールド大リーグ戦
 52 4(新) ゴールデン・ファイト・S
 53 10(新) 闘魂S
 55 1(国) 新春パイオニア・S
 55 11(国) デビリッシュ・ファイト・S
 56 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦
 
 ナチスギミックを演じたが、本人はオランダ出身のユダヤ系カナダ人。はっきり言えば、クローとキックだけしか取り柄の無いレスラーで、彼をエースにしなければならなかった旗揚げから数年の新日本プロレスの台所事情は察するにあまりある。しかし、なぜかタイトル運には恵まれており、日本プロレスではインターナショナル・タッグを2回(パートナーはジョニー・バレンタイン、フリッツ・フォン・エリック)、新日本プロレスのワールド大リーグ戦では2年連続準優勝を果たしている。
 昭和53年の来日の時に公開した新兵器「アイ・クロー」は、何と目をつかむ(つまりサミング攻撃)と言う荒技だった。昭和55年からは、国際プロレスに登場するが、新日本プロレスからの「払い下げ」という印象が強かった。最後は全日本プロレスに、バロン・フォン・ラシクとのコンビで登場し、当時の4大メジャー団体を制覇した。
 性格的には粗暴だったとする説(ミスター高橋説)もある一方で、紳士だったとする説(新間寿説)もあり、真相はよく分かっていない。月刊ゴングがクラップがロスに短期間登場した際に行なったインタビューは、ヒールにもかかわらず非常に丁寧な日本語で訳されていたことを考えると、リング外では物腰が柔らかかったのではないかと推測できる。1995年心臓麻痺(日本で感染したA型肝炎説もあり)で死亡。