カール・クライザー(*) Karl Krauser
 カール・ゴッチ Karl Gotch

カール・クライザー時代
  ■ニックネーム:神様 
■本名:カール・イスタス
身長・体重:188センチ、110キロ
生年月日:1924年8月3日(2007年7月18日没)
■出身地:ベルギー・アントワープ出身
得意技:原爆固め
■主要タイトル:
 イースタンステーツ・ヘビー
 AWA世界ヘビー(オハイオ版)
 IWA世界ヘビー(オーストラリア版)
 WWA世界タッグ
 WWWF世界タッグ
■来日回数:11回
■参加シリーズ:
 36 4(日) 第3回ワールドリーグ戦(*)
 36 6 (日) プロレス夏の選抜戦(残留) (*)
 41 7(日) 第一次サマー・S
 43 1(日) 新春チャンピオン・S
 46 3(国) 第3回IWAワールド・S
 47 3(新) 【特】旗揚げオープニング・S
 47 10(新)【特】ニュー・ゴールデン・S
 48 7(新) 【特】サマー・ファイト・S
 48 9(新)【特】闘魂・S
 49 7(新)【特】サマー・ファイト・S
 50 12(新) 闘魂シリーズ第2弾
 57 1(新) 1・1三大スペシャルマッチ
 57 1(新) 【特】新春黄金・S(残留)
 
 ベルギー生まれだが16歳の時にドイツに移住したといわれている。1948年のロンドン・オリンピック出場に関しては、疑問の声が出たこともあるが、ベルギー選手団の名簿に「Karel Istaz」の名前が確認されている。特に日本では「神様」と呼ばれ、神格化されている名レスラー。
 初来日は力道山時代の「第3回ワールド大リーグ戦」で、カール・クライザー名義での登場。。現在ではクラウザーと表記されているが、当時はクライザーと表記されていた。一説にはテキサスで活躍していたカロル・クライザーと間違えて招聘したとも言われている。滞在中にビル・ミラーとともにグレート・アントニオを控え室でリンチするというシュート振りをみせつけた。
 その後、馬場のインターを狙って来日するが、膝にバイ菌が入りシリーズ途中欠場した為、インター挑戦は実現しなかった。昭和42年から日本プロの要請で「ゴッチ教室」を開校し、猪木はもちろん馬場にも指導を与えた。
 一時現役を退き、ハワイで清掃員の仕事に従事したが、ビル・ロビンソンの誘いで国際プロレスで現役復帰。新日本プロレスの旗揚げにも参加し、外人不足の新日本プロレスを盛り上げた。格闘家としての評価は高いが、プロレスラーとしての評価は賛否両論あり。2007年7月28日に動脈瘤破裂で急死。