ボブ・カーセン(*) Bob Carsen ボブ・スウィータン Bob Sweetan |
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ボブ・カーセン ボブ・スウィータン(写真提供:JGD様) |
■ニックネーム:絞殺魔 ■本名:ロバート・バイヤー ■身長・体重:178センチ、123キロ ■生年月日:1940年7月4日(2017年2月10日没) ■出身地:カナダ・サスカチュワン州グッドソイル出身 ■得意技:パイル・ドライバー ■主要タイトル: インターナショナル・タッグ(カルガリー版) 北米タッグ(セントラルステーツ版) ガルフコースト・ヘビー セントラルステーツ・ヘビー セントラルステーツ・タッグ USヘビー(シスコ版) トライステート・ヘビー ■来日回数:3回 ■参加シリーズ: 46 5 (日) ゴールデン・S (*) 56 1 (国) 新春パイオニア・S 59 4 (旧U) UWFオープニング・S |
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「絞殺魔」の異名を持つラフ・ファイターで、デビュー当時はKO・コックスと名乗り、カンサス地区でキラー・カール・コックスとのコックス・ブラザーズで売り出す。昭和44年にKOコックスの名で国際プロレスに来日が決定しながら来日は中止。日本プロレスの妨害があったといわれているが、妨害するほどの大物ではなかった。 ボブ・カーセン時代はカナダで北米選手権も獲得し、日本プロレスに初来日。大木金太郎のアジア・ヘビー級王座に挑戦するも敗れている。後にボブ・スイータンに改名し、サンフランシスコや中西部地区で売れっ子となる。 昭和56年には10年ぶりに国際プロレスに来日しルー・テーズ杯争奪戦に参加。人種偏見が強く、メキシカンのレオ・ロペスをイジメ、レフェリーとして参加していたルー・テーズにたしなめられていたという。3年後にはユニバーサル(UWF)の旗揚げシリーズに来日し、若い高田伸彦あたりを痛めつけた。 2017年2月10日、虫垂炎の手術後の合併症のため急逝。 |
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