ビル・ドロモ Bill Dromo
 クラッシャー・ビル・ドロモ(*) Crusher Bill Dromo
 ザ・インベーダー(**) The Invader

(撮影:HARU一番様)

ザ・インベーダー
  ■ニックネーム:電光狼、侵略仮面(**)
■本名:ビル・ドロモ
身長・体重:191センチ、125キロ
生年月日:1937年6月28日(2012年12月28日没)
■出身地:カナダ・マニトバ州ウィニペッグ出身
得意技:トーキック
■主要タイトル:
 インターナショナル・タッグ(ジョージア版、カルガリー版)
 アジア・ヘビー(日本プロレス)
 コロンバス・ヘビー
 ミッドアメリカ・タッグ
 南部ヘビー(フロリダ版)
■来日回数:7回
■参加シリーズ:
 39 9 (日)プロレス秋の陣
 39 12(日)WWA世界選手権S(残留)
 42 7 (国) パイオニア・サマー・S (*)
 46 1 (日) 新春チャンピオン・S
 47 9 (国) ダイナマイト・S
 49 4 (新) 第1回ワールド・リーグ戦 (**)
 51 9 (新)【特】闘魂S
 55 9 (国) 第1次ダイナマイト・S
 55 9 (国) 第2次ダイナマイト・S(残留)
 
 長いキャリアを持つベテランレスラーで、スタニスラウス・ズビスコの甥という触れ込みでビリー・ズビスコとしてデビュー。ジャイアント馬場のニューヨーク第一戦の相手を勤めている。
 国際プロレスに登場した際は、クラッシャー・ビル・ドロモと名乗った。日本では昭和46年にアジア・ヘビー級選手権を奪取した事から、大木金太郎のライバルとして知られている。昭和55年に国際プロレスに来日した際も大木が保持していたインターナショナル・ヘビー級選手権に挑戦している。
 新日本プロレスにはマスクを被って「ザ・インベーダー」として来日したが、これは日本限定のギミックだった可能性が高い。
 大型で実力も申し分ないが、一流レスラーにはなりきれなかった。ニューヨーク時代にいじめられたのか、ジャイアント馬場はその著書で「(一流になれなかったのは)ドロモの性格に原因があり」と書いている。2012年12月28日にパーキンソン病のため逝去。
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