エル・カネック El Canek

(撮影:HARU一番様)
  ■ニックネーム:仮面の魔豹
■本名:?
身長・体重:186センチ、105キロ
生年月日:1952年6月19日
■出身地:メキシコ・タバスコ州フロンティーラ出身
得意技:原爆固め、フライング・ネックブリーカー
■主要タイトル:
 ナショナル・ヘビー
 UWA世界ヘビー
■来日回数:14回
■参加シリーズ:
 53 3(新) ビッグ・ファイト・S
 54 4(新) 第2回MSG・シリーズ
 56 4(新) WWFビッグ・ファイト・S第2弾
 56 11(新) 第2回MSGタッグ・リーグ戦
 57 6(新) 第1次サマー・ファイト・S
 57 11(新) 第3回MSGタッグ・リーグ戦
 58 5(新) lWGP決勝リーグ
 59 6(新) サマー・ファイト・S
 60 5(新) lWGP&WWFチャンピオン・S
 60 11(新) 85 IWGPタッグ・リーグ戦
 61 4(新) ビッグ・ファイター・S
 62 1(新) ニューイヤー・ダッシュ 87
 63 5(新)【特】88lWGPチャンピオン・S
 63 10(新) 闘魂S
 
 エル・ウニベルソとしてデビュー。プリンシペ・アズールを経て1973年3月にカネックとなる。アステカ王朝をモチーフにしたマスク・デザインが特徴だが、初期のマスクにはこれがなかった。日本ではエル・カネックと表記されていたが、正式には「エル」は付かない。藤波辰巳のメキシコ修行時代のライバルで昭和53年に凱旋の藤波を追って初来日するが、タイトルマッチ当日に敵前逃亡という不祥事を起こす。この事件に関しては「昭和プロレス・ファイル」を。
 帰国後はUWAに移籍し、自費でカール・ゴッチを招いてコーチを受けルー・テーズを破り世界王者となり、ミル・マスカラスに変わる「メキシコの帝王」として君臨する。以後何度も来日しているが、昭和60年代に入ると精彩を欠き、人気も衰えてしまったのはファンとして残念だった。しかしメキシコでは「最後の砦」といわれ、タイガー・ジェット・シン、アンドレ・ザ・ジャイアント、スタン・ハンセン、ハルク・ホーガン、ビッグバン・ベイダーらアメリカ・マット界の大物にも勝っている。2002年には、日本でバーリトゥード戦に登場し快勝、昭和ファンを喜ばせた。息子もイホ・デル・カネックの名でプロレスラーになっている。
 

(提供:セブン様)