チーフ・ホワイト・ウルフ Cheif White Wolf シーク・オブ・シークス・バグダッド (*) Sheik Of Sheiks Of Baghdad |
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チーフ・ホワイト・ウルフ シーク・オブ・シークス・オブ・バグダッド |
■ニックネーム:白狼酋長、バグダッドの怪酋長(*) ■本名:アドナン・ビン・アブドゥカリーム・アーメッド・アル・ケイシー・エル・ファーシー ■身長・体重:186センチ、109キロ ■生年月日:1939年3月1日(2023年9月6日没) ■出身地:イラク・バグダッド出身 ■得意技:ボー・アンド・アロー ■主要タイトル: NWA世界タッグ(テキサス地区) パシフィックノースウエスト・ヘビー USヘビー(ハワイ版) IWA世界ヘビー(オーストラリア版) WWWF世界タッグ ハワイ・タッグ ■来日回数:4回 ■参加シリーズ: 39 4(日) 第6回ワールド大リーグ戦 39 5(日) ワールド選抜戦S(残留) 42 8(日) 第二次サマー・S 44 1(国) ビッグ・ウィンター・S 49 8(新) 闘魂S (*) |
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この男もホワイト・ウルフ、シーク・オブ・シークス・バグダッド、シーク・アドナン・アル・ケイシー・・・などとリングネームを良く変えたレスラーである。イラクのバグダッド出身でデビューもベイルート。ヨーロッパ経由でアメリカに渡りインディアン・ギミックのチーフ・ホワイト・ウルフで活躍した。当時はかなりの実力派として鳴らした。 シーク・オブ・シークス・オブ・バグダッドというのはイギリスにおけるギミックらしい。日本ではニコリ・ボルコフとのコンビで日本勢を苦しめた。帰国後はWWWFエリアに入りインディアン・スタイルに戻りベビーフェイスのジェイ・ストロンボーとのインディアン・コンビで人気を博するが、AWAエリアに転出しシーク・アドナン・アル・ケイシーを名乗り再び狂暴なアラビア人のギミックに戻って、以後はそれを貫き通し、クラッシャー・ブラックウェルやサージェント・スローターなどのマネージャーとして知られるようになった。湾岸戦争勃発時は大もうけしたに違いない。イラクでは英雄的存在である。 |
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