ドイツ出身で、ナチス将校を夢見て体を鍛え、戦後はフランスの外人部隊に入隊しアルジェ戦争にも参加したという筋金入り。ホースト・ホフマンのライバルで、ハノーバー・トーナメントでは上位の常連だった。初来日直後の1971年に優勝。新日本プロレスの第1回IWGPの欧州地区予選を兼ねた1981年の大会ではシングルで3位、タッグで優勝を果たし、代表候補にも名が挙がったが、再来日はならなかった。
国際プロレス登場時はパワー・ボムや変形バックブリーカーなど当時としては珍しい技を披露している。現在は息子がアクセル・ディーター・ジュニアとしてリングに上がっている。リングを降りてもかなりの「強面」らしい。2015年9月28日、逝去。 |