昭和46年6月に自費で来日し「ジャイアント馬場に挑戦したい」と都内のホテルで記者会見を開いた自称ダラ・シンの弟(4男)を名乗る謎のインド人レスラー。結局は日本プロレスではなく、ロジャー・デラポルトの推薦という形で国際プロレスのリングに登場した。
「サー・ダラ・シンとのコンビで東南アジアのタッグ王座を獲得し、ロンドンではルー・テーズに挑戦して引き分けた」などと豪語していたが、日本での成績は全く振るわず。しかしイギリスで活躍していたのは事実のようだ。来日前はシンガポールを中心に東南アジアをサーキットしていた。 |