アメイジング・ズマとも名乗った。外人不足に悩んでいた初期の新日本プロレスは良くパンフで外人の経歴を詐称していた。ズマの紹介にも「アントニオ・ロッカのライバル」と書かれており、これもでっち上げと思いきや、1960年1月にはマイティ・ズマの名でMSGに登場しアントニオ・ロッカとメインエベントで2連戦を戦っている。昭和44年のゴング誌でもまだ見る強豪88人に選ばれた強豪であった。
日本へは新日本プロレスが総力を挙げて(?)行なった、「第1回ワールド大リーグ戦」にアルゼンチン代表としてようやく来日。肝心の成績は柴田からの1勝のみで残り7試合は全敗という悲惨な成績で予選落ち。完全に全盛期を過ぎていた。来日はこの一回のみ。 |