アマレス時代はグレコローマン・スタイルの第一人者として知られた。ハンブルグをはじめとするヨーロッパ各地で行なわれたトーナメントで常に上位に名を連ねた強豪。
1959年にはフランク・バロワと渡米しテキサス・タッグを獲得している。日本へはロベルト・ガステルとのコンビでヨーロッパ・タッグ選手権者として来日し、G草津&R木村組の挑戦を受けたがストレート負けし、タイトルを日本に置いての帰国という屈辱を味わった。IWA世界タッグ挑戦シリーズにフランク・バロワのパートナーとして来日が決定していたがキャンセルしている。フランスではIWA会長のロジャー・デラポルテとのコンビで活躍していたようである。
その後、交通事故に遭って引退し、プロモーターになっている。また芸能界でも活躍したようで、ロジャー・デラポルテとのコンビでレコードをリリース、単独で映画にも出演していたようである。 |