1960年にアラスカ祭りで熊を殴り倒し、その腕力を買われてレスラーになったという。アラスカ開拓者のギミックでジーパンをコスチュームとして着用していた。バディ・オースチンをチェーン・デスマッチで半殺しにした事もある狂暴なレスラーで、マイク・ヨークとのジ・アラスカンズで売り出した。
日本プロレス最後の「アイアンクロー・シリーズ」に来日し、そのまま残留して全日本プロレスの「ブラックパワー・シリーズ」にも参加しているが、このときは完全に全盛期を過ぎており精彩を欠いた。晩年はロス地区で活躍。来日中は日本の食生活になじめずにわがままをいい外人係のジョー樋口を泣かせたという。何でも黒く焦げるまで火を通さないと食べなかったそうである。
リング外ではプロのパーカッショニストとしても活躍し、ロックバンド「デラニー、ボニー&フレンズ」にも参加したこともあったという。1995年に肝不全で死亡。 |