昭和40年にジャイアント馬場が争奪戦を経てディック・ザ・ブルーザーを破りインターナショナル選手権を獲得するが、その際に作られたのが3代目のベルトである。中央に地球の上に鷲が羽ばたいているレリーフ、上部には王冠が配された重厚なつくりのベルトである。馬場は途中ボボ・ブラジル、ジン・キニスキーにタイトルを短期間ダッシュされるが日本プロレスを退団する昭和47年まで7年間腰に巻いた。
馬場は全日本プロレスを創立するために退団したが、その際に王座を返上。空位になったインターナショナル選手権は大木金太郎とボボ・ブラジルが王座争奪戦を行い、ブラジルが2度目の王座獲得。大木がリマッチでこれを奪取しタイトルを獲得するが日本プロレスは崩壊。大木はこのベルトを保持し続け、地元の韓国、国際プロレスのリングで防衛戦を細々と続けた。
しかし昭和56年4月にNWA会長のジム・クロケットの勧告で、大木は泣く泣く王座を返上。ベルトは全日本プロレスが管理を任され、復活トーナメントでドリー・ファンク・ジュニアがタイトルを獲得することとなった。 |