アニマルズ プロフィール | |||||
ストーリー | |||||
日本ではビートルズ、ローリング・ストーンズに次いで愛されたビート・グループはアニマルズだったと言って過言ではない。 炭鉱の町ニューカッスルを本拠にするアニマルズの母体は初代リーダーのアラン・プライスが結成した。1959年に結成されたアラン・プライス・コンボ。メンバーはリーダーで電子オルガン担当のアラン・プライス。リードギターのヒルトン・バレンタイン、ベースのチャス・チャンドラー、ドラムスのジョン・スティールであった。エリック・バードンは、当時の解説ではニューキャッスルを訪れたスウィンギング・ブルージーンズをバックにヴォーカリストとしてデビューしたと書かれている。その後、ペイガンズというグループに在籍し、1962年にアラン・プライス・コンボに加入した。 その後、ワイルドなステージを繰り広げていたアラン・プライス・コンボにファンが「お前たちは動物(アニマル)だ!」と声をかけたのをきっかけにアニマルズにグループ名を変えたというエピソードはもはや伝説になっている。1963年にデモテープを製作し、各レコード会社に売り込みを開始。1964年にミッキー・モストと契約、英COLUMBIAからレコードがリリースされることになる。 2作目の「朝日のあたる家」が英国1位に。さらにアメリカでも1位の大ヒット。ビートルズに次ぐ英国ビート・グループによる全米1位獲得を達成した。ちなみにアメリカではデビューからMGMと契約していた。 その後も、英・米で順調にヒットを連発。日本でも「朝日のあたる家」「悲しき願い」が大ヒットし、いわゆる「リヴァプール・サウンド」のなかでもビートルズに次ぐビッグネームをなったが、グループ内ではメンバー間の不和が付きまとい、1965年春にリーダー格のアラン・プライスが脱退。代わりにマイク・コットン・サウンドのデイブ・ロウベリーが加入。アラン・プライスはアラン・プライス・セットを結成し活動を継続した。 メンバーチェンジ直後の1965年6月にピーターとゴードンに続くリヴァプール・サウンド第2弾として来日。この時、ワイドショーで炭鉱事故のニュースを見て、同じく炭鉱のニューカッスル出身のメンバーはしんみりしていたという。東京ではリキ・パレス、大阪ではサンケイ・ホールで他地方も併せて9回の公演を行った。上田正樹がサンケイ・ホールでの公演を見て熱狂したという話は有名。この日本ではザ・スパイダース、クレイジー・ビートルズが前座を務めた。 1966年に英デッカに移籍(アメリカではMGMのまま)。同時期にドラムのジョン・スティールが脱退してバリー・ジェンキンスが加入。プロデューサーもミッキー・モストからトム・ウィルソンに代わった。第一弾の「孤独の叫び」は12位のヒット。その後も安定した活動を続けたが、今度はエリック・バードンと他のメンバーの関係が悪化し、1967年にオリジナル・アニマルズは解散。エリック・バードンとバリー・ジェンキンスはアメリカに渡り、オーディションでメンバーをあつめいわゆる「ニュー・アニマルズ」を結成。さらにイギリスでもMGMと契約し、エリック・バードンとアニマルズとして活動を続けことになる。 冒頭に書いたが「朝日のあたる家」「悲しき願い」の2曲は形を変えつつも、東芝音楽工業(東芝EMI)のカタログから消えることはなかった。ほとんどのリヴァプール・サウンドのレコードがカタログから消えていく中、これは異例。いかにアニマルズは日本のファンに支持されていたかがわかる。 |
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アラン・プライス Alan Price | |||||
電子オルガン担当 生年月日:1942年4月19日 出身地:英国ダラム州ファットフィールド出身 本名:アラン・プライス 身長175cm、体重64kg。髪は金髪、瞳はブルー。 好きな歌手:レイ・チャールズ、バディ・グレコ、ケティ・レスター、ダイナ・ウォシントンほか 好きな俳優:モンゴメリー・クリフト、ポール・ニューマン、シャーリー・マクレーンほか 好きなもの:犬とキラキラ光るもの 嫌いなもの:旅行と雪と迷信 8才でピアノを弾きこなし、13才の時スキッフル・ギターに転じてロック・グループに参加。のちベースに持ちかえて友人のエリック・バードンとジョニーと共に3人のコンボ「ザ・ペイガンズ」を結成。その後2ヵ月間病院生活を送り、退院後「ザ・コントアーズ」に加入。ここでチャス・チャンドラーと知り合う。そして、このグループ解散後、チャンドラー、バレンタイン、スティールとアニマルズの母体となった「アラン・プライス・コンボ」を結成 アニマルズのリーダとして活躍したが、表向きは飛行機が嫌いという理由で1966年に脱退。その後は「アラン・プライス・セット」を結成。映画俳優としても活躍し1975年には「アルフィー・ダーリン」で主演した。 |
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エリック・バードン Eric Burdon | |||||
ヴォーカル担当 生年月日:1941年5月11日 出身地:英国・ニューカスル・アポンタイン出身 本名:エリック・ヴィクター・バートン 身長170cm、体重70kg。髪はダーク・ブラウン、瞳はグリーン。 好きな歌手:レイ・チャールズとエッタ・ジェイムス、ショー・ターナーほか 好きな俳優:モンゴメリー・クリフトとジェイムス・ディーン。 好きなもの:ヒップ・ピープル(女の子) 嫌いなもの:アンヒップ・ピープル ホリーア・セント・セコンダリー・モダン学校時代にウォッシュボードを持ったのがこの道の始め。のちトロンボーンに変り現在のヴォーカルに転じた。ニューカスル市を訪れたおなじみのグループ“スウインギング・ブルー・ジーンズ”をバックに、市のホールで歌ったのが歌手としての本格的デビュー。 以後アラン・プライスに会う。ニューカスル大学に入ってNDDRSA(注、ナショナルーディプローマ・オブ・デザイン・ロイヤル・ソサエティ・オブ・アーツの略で、早く云えばナショナル美術装飾デザインの免許状)を受けているぽどの才人。ニューカスル市にある「クラブ・ア・ゴー・ゴー」は彼のデザイン。その他、一時、人夫、郵便集配大、図案家などをやったことがある。フォードのサンダーバードが愛用車。 1966年からアメリカに移住しエリック・バードンとアニマルズを結成。1968年11月の日本公演後に解散。その後は、エリック・バードン&ウォー等で活躍。 |
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チャス・チャンドラー Chas Chandler | |||||
ベース・ギター担当 生年月日:1938年12月18日(1996年7月17日没) 出身地:英国ニューカスル・アポンタイン・ビートン 本名:ブライアン・ジェイムス・チャンドラー 身長193cm、体重89kg。髪はブラウン、瞳はグリーン 好きな歌手:ボブ・ディラン、ディオヌ・ウォーウイック、ジョン・リー・フッカーほか 好きな俳優:マーロン・ブランド、スティーヴ・マックィーンほか 好きなもの:愛嬌ある女性が大好き 嫌いなもの:迷信とサーヴィスの悪いレストラン ビートン・グラマー・スクール時代スキッフル・バンドに参加。のち工場のエンジニアになったが昔の夢が忘れられず、ウォールセントにあるエクスサーヴィックス・クラブにプロとして出演。ザ・カンシャンスなるバンドを経てザ・コントアーズに加入し、アニマルズに参加。 アニマルズ解散後はジミ・ヘンドリックスのマネージャーとなる。その後はスレイドをマネージメントして成功。実業家としても成功している。 |
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ヒルトン・バレンタイン Hilton Valentine | |||||
リード・ギター担当 生年月日:1943年5月22日(2021年1月29日没) 出身地:英国ノースムバーランド州ノース・シールズ 本名:ヒルトン・ステュアート・パタースン・ヴァレンタイン 身長177cm、体重65kg。髪はブラウン、瞳はグリーン 好きな歌手:ブレンダ・リー、レイ・チャールズ、サム・クック 好きな俳優:マーロン・ブランドとポール・ニューマン 好きなもの:読書と音楽 嫌いなもの:おしゃべりな人。 13才でギターを持ちヘッパースを結成。市内のセント・オーガスティン教会のホールで演奏したがタインマウス・ムニシパル高校卒業後一時機械工をしていたこともある。その後イヤ気がさして音楽界に戻り、アランと知り合いアニマルズに加入。愛用車はメルセデス・ベンツ。 「朝日のあたる家」の印象的なギターフレーズはロック史上に残る名演。解散後はアルコールに溺れ体調を崩したこともあったが、復活しアニマルズの再結成にも参加している。晩年はアメリカのコネチカット州を拠点にしていた。 |
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ジョン・スティール John Steele | |||||
ドラムス担当 生年月日:1941年2月4日 出身地:英国グラム州ゲーツヘッド 本名:ジョン・スティール 身長172cm、体重64kg。髪と瞳はブラウン 好きな歌手:レイ・チャールズ、メアリー・ウェルズ、ジョン・リー・フッカー、ボブ・ディランほか 好きな俳優:ポール・ニューマン、モンゴメリー・クリフトほか 好きなもの:太陽と誠実な人 嫌いなもの:貴族崇拝家と質問ばかりする人 ゲイトシード・グラマー・スクール時代からトランペッターとしてならし、のちザ・ディタッチド・ワンなるバンドに参加。その後1962年にアラン・プライスと知り合いドラムスにチェンジした。バンドをやりながら苦学して美術デザイン大学を出ている。またバンドの外、壁紙のセールスマンや挿絵|画家をしていたこともある。 アニマルズ解散後はチャス・チャンドラーのビジネス・パートナーとなりスレイドを売り出した。1993年にはアニマルズUを結成。ジョン・スティール、デイブ・ロウベリーも参加した。2008年には「アニマルズ」を商標登録しようとし、エリック・バードンとトラブルを起こしている。 |
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デイブ・ロウベリー Dave Roweberry | |||||
キーボード担当 生年月日:1940年7月4日(2003年6月6日没) 出身地:英国ノッティンガム州マッパリー出身 本名:デイヴ・エリック・ロウベリー 身長173cm、体重63kg ニューカッスル大学在学中に音楽業界入り。1962年にマイク・コットン・ジャズメン(後のマイク・コットン・サウンド)に加入。アラン・プライス脱退後に後釜として1965年5月に加入。初の日本公演にも参加している。作曲家、アレンジャーとしても才能を発揮し、アルバム「ANIMALISMS」では重要な役割を果たしたようである。アニマルズ解散後はセッション・ミュージシャンとして活躍したそうだ。1999年にジョン・スティールによって結成された「アニマルズII」に参加した。 |
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バリー・ジェンキンス Barry Jenkins | |||||
ドラム担当 生年月日:1940年7月4日(2024年1月27日没) 出身地:英国ノッティンガム 本名:コリン・バリー・ジェンキンス 身長173cm、体重63kg。髪はブラウン、瞳はブルー 「タバコ・ロード」のヒットで有名なザ・ナシュヴィル・ティーンズでドラムをたたいていたが、ジョン・スティール脱退後の1966年3月にアニマルズに加入。バートンの独断でオーディションもなく加入が決まったという。エリック・バードンがアメリカに拠点を移してからも行動をともにし、エリック・バードンとアニマルズに参加している。 |
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参考資料:日本盤アルバム「アニマルズ」掲載ライナー(木崎義二著)、「これがリヴァプール・サウンドだ!」かまち潤著(小学館) Special thanks to カタナ・ボート様 |